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当時満州国と呼ばれた日本の傀儡国家に、予備役で召集された諸井氏は経理将校として赴任する。 「私の大学生活時代は自由主義のはなやかな、日本が軍国化する直前の切羽詰まった世紀末的世相を持った時代である。世の中は段々と不況に進む。ファシズムか世相打開かの時代である。此のような時代に私は社会に対する或る程度の抵抗感を持って昭和六年に大学を卒業した。」 「私は赤い思想を持った注意人物として、当時の教官大宮中尉からマークされた。」(Vol.5) 彼は、日本が中国大陸侵略、戦争へと傾斜していく時代に教育を受ける。そして共産主義思想へと傾倒していく。当時危険思想とされ、厳しい弾圧の対象となった共産主義思想を持った経理将校は、命令を受け「満州」にわたる。 「昭和六年から始まった満洲事変は、不拡大の与論にもかかわらずファシズムの強行により悪化の一方に進んでいた。勿論私も軍部の在り方には批判的であった。然し私は自分の生活のために予備役将校の地位を利用して、軍人志願を希望した場合もあった。何故なら過大な待遇を一番受けたのは軍人であり、いわんや将校はそこら辺の月給取りよりも数倍の良い収入を得ていたからである。」(Vol.8) 戦争拡大に批判的であったとしても、命令とあれば経理将校として「満州」にわたる。生活者として当然の身の処し方、当然と言えば当然だが、戦後生まれの私には新鮮な驚きを伴う。当時軍人が厚遇を受けていたとするのも、また私には新しい知識である。 「巨大な帝国主義の歩みと日本人の破滅への行進等という思想には私は強いてタッチしないようにしていた。唯軍服を着て月俸をもらい生活を楽しむと言う、ファシズムへの奉仕に対する矛盾性にはひたすらに無感覚になるべく努力した。」(Vol.10) 「今の青年から見れば実にだらしない生き方だと思うかも知れない。然し私は今でも当時の生活はあれで良かったと思っている。兎に角当時は良心的な生き方は少しも許されない時代である。少しでも良心的であろうとすれば死を覚悟するより他はない。私は死ぬ事は絶対に嫌だった。」(Vol.11) 家族を日本から呼び寄せた彼を待っていたのは、ソ連参戦と日本の敗北、そしてソ連による抑留であった。九死に一生を得て祖国に帰国してからも、「満州」からの引揚者に楽な生活は待っていなかった。 この戦争経験を追体験して頂きたい。そして戦時中の日本人が戦争をどう捉え、何を感じていたのか知って欲しい。戦争へと世の中が動き始めたとき、私たちはどう生きればよいのか。「戦争」を考えて頂きたい。 創価大学 林 亮
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